【吸血 コメント】  プロデューサー 永松左知

暗闇の中で光る金色の肉体を見たのは、2004年の秋が最初だった。
青い照明の中で、少女の蠢きを聴いたのは、2005年の初夏だった。

2003年秋、『肉体のシュルレアリスム 土方巽抄』展を観に岡本太郎美術館へ行く。
大学に入ったばかりのわたしは、何かが身体の底に刻まれたような印象をもってかえり、
2004年の春には川村美術館の中西夏之の絵画展で、ふるえるほど感動して立ち尽くしていた。
その年、麻布ディープラッツのKo & Edge Co.の《Experimental Body vol.2 始原児》を観たのが、
ちょうど二十歳になる月のことだった。
いま思えば、初めて観た室伏作品の強烈な構成や、彼の肉体の畸形性・力と脆さに、
表現の先鋭を感じたのだろう。
観客席の前列には中西氏がいて、意外な出会いに驚くわたしに、彼は古くからの友人なのだと語った。

同じ年の夏、ダンサーの中村達哉を追いかけて撮影に行った長野で、吉本監督と出会う。
無音の音がひびくように真っ暗な廃校で行われた、映像と踊りのイベントの演出。
監督は、わたしがすでにチケットを買っていた佐藤信演出の『リア王』の映像を担当するといった。

「岸田理生作品連続上演2005」から、女優の柿澤亜友美さんに惹き付けられ…
彼女の身毒丸や夜長姫、サロメをみつづける。舞台の上に存在するけれど、
現実にはどこにもいない「少女」。
符牒が少しずつ動いていく。

いろいろなことがあり、雑誌『夜想』の「吸血鬼」特集に関わっているとき、
吉本さんとの間で「吸血鬼」をテーマに、映像作品やイベントが出来ないか、と話がもちあがった。
(とわたしは思っているのだけど、彼にとってみれば心外な頼み事だったかも…?)

話は熱っぽく盛り上がったりスローダウンしたりしながら、いろいろな人を巻き込んですすんだ。
照明とカメラをじっとみつめて回す新里さん、寒い冬に裸でペイントを施される足立さん、
不思議な佇まいの吉永さん、牙や爪を作り炎を焚く八木くん、メイクと衣裳のコンビの嶋田さんと竹内さん、
題字・梵字で皆を驚かせた小林さん。
ほかにもさまざまに、関わってくれた多くのひと。
そして、『吸血』の世界観と、映像の質感、風景、音や光について、
吉本さんは情熱的だが感情的になることもなく、淡々と、時に興奮しながら、
近未来の懐かしく薄明の映像詩を織っていった。

キャストにもスタッフにもギャラを出せないのが心苦しく、宣伝にも力のない自分が情けなかった。
プロの方もアマチュアの自分たちも混在して、一つのものが出来上がっていく現場が楽しかった。
『吸血』は稀有な作品であり、
この映画に関わった人たちや観てくれた人たちの、感情が、幻想が、
映画自体が発している無音の叫びが、この時代に『吸血』が生まれたことの財産だ。