高原英理×吉本直紀 トークショー 2010.03.18



永松: 本日はご来場くださりまして誠にありがとうございます。プロデュー
サーの永松です。今日は、映画本編の上映の前に、高原英理さんをゲス
トにお招きして、監督の吉本直紀との対談を、プレトークという形で設けさ
せていただきました。それでは、高原さん、吉本さん、よろしくお願いします。

 すこし私の方から紹介させていただきますと、もちろんご存知の方も
多いとは思いますが、高原英理さんは澁澤龍彦氏や中井英夫氏といった
方々の選考で第一回幻想文学新人賞を受賞され、小説や評論など、文学
の分野で様々にご活躍されています。ご著書をお読みになった方はお分か
りの通り、非常に美術や映画にも造詣が深くていらっしゃいます。今回は
『吸血』というタイトルから、皆さん映画は吸血鬼ものらしいということはご想
像がついているかと思いますが、吸血鬼という“ゴシック”的なもの、また本
作は少女が主人公となっていますが、その“少女”性ということであったり、
そういうことを各所で述べていらっしゃる高原さんに、是非お話をいただけ
ればと願い企画をいたしました。

 『吸血』はこれまで何度か試写会を重ねてきているのですが、渋谷のアップ
リンクという劇場で試写をした時にご来場くださっていて、とてもシンプルです
が素敵なコメントを、ホームページのほうにアップさせていただいていますので、
是非ご覧くださればと思います。それではトークショーを始めたいと思います。
(拍手)

 あまりネタバレをしない程度に(笑)、まず、この映画をどのようにご覧に
なったか、またかなり抽象的な作品であると思いますが、どういう点に着目して
観ると、高原さん的には面白いと思われるか、その辺りをお聞かせください。

高原: 映像の…質でしょうか。具体的な内容には触れないようにしたいと思い
ますが、既にウェブサイトに書いてあるからこれは良いでしょう、『幽』という怪談
雑誌の編集長の東雅夫さんが、ドイツ表現主義と、60、70年代の怪奇映画との、
混淆、それぞれの良いところを採っている、というようなことをおっしゃっていて、
僕も同感です。その辺りは、監督は実際にどの程度意識しておられたのか、お
聞きしてみたいと思います。

吉本: 60年代から70年代の日本映画、エログロナンセンスものが沢山あったと
思うんですけど、あんまり僕はそれは観ていないんです。友達から色々話は聞い
ていたんですけど。あの何だっけ…『恐怖奇形人間』は観たんですけど、それ以
外の作品ってあんまり観たことがなくて。ただ『恐怖奇形人間』も、『吸血』を作った
後に観たので、それを意識していたわけでもないんです。
 やっぱり意識したというか思ったのは、『ノスフェラトゥ』とか、初期のサイレント映
画の恐怖映画。そういうものを、今の時代の技術と、あとインディペンデントだから
こそできる表現でやれないかな、というところで作っています。

高原: 初期のサイレントというのは、時代的には1920年代くらいですかね。ドイツ
表現主義で『カリガリ博士』とか、ムルナウの『ノスフェラトゥ』、後でヘルツォークが
リメイクしてますが、あれも良い映画ですね。ヘルツォークの方は白黒ではなく、サ
イレントでもない。
 おそらく一つの作品というものは、作者が意識していなくても、色々なものに関連
させて考えられると思います。先ほどの東さんが注目したのは、70年代の『血を吸
う薔薇』とか『血を吸う眼』とか、岸田森という人が吸血鬼をやっていた作品でしょう。
 ただそれらは、極彩色のサスペンス風な話ですから、造りが違う。もう少し勝手な
連想をさせてもらえれば、1960年代後半に日本では沢山怪奇映画、それも西洋風
の作品が作られています。『吸血髑髏船』とか、題名のせいでDVD化の難しい『怪
談せむし男』とかね。この辺りは結構良い映画なんです、ただ色々な理由で観る機
会があまりないのですが。その種の、西洋怪談、まだその頃は“ゴシックロマンス”と
いう呼び方はせずどれも“怪談”と言っていましたが、あれも…その頃はもうカラー作
品がほとんどなのに、わざと白黒なんですよ。今見ると馬鹿馬鹿しいところも多いん
だけど独特のいいところがあります、どちらかと言えばそういったものの方に近いよう
な印象が、僕にはしました。



吉本: そうですか…観ていないので何とも言えないですが(苦笑)。
 日本映画っていうとどうしても、もっと古い黒澤とか、あの辺の時代はよく観ているん
ですけど、いわゆる巨匠の人たちが終わった後の時代というのは、あんまり僕は観て
いないんです。それはなぜかというと、僕は10年くらいアメリカに住んでいまして、ほと
んどその時代の日本映画に触れるとか、周りにそういう状況が無かったんです。だか
ら日本に帰ってくるまで、アングラの存在自体も知らなかったし…全然そういう知識が
無かったんです。

高原: アングラのことでいうと、先ほど観ていたとおっしゃった『恐怖奇形人間』は石
井輝男監督が、土方巽さんに、「出てください」「好きにやってください」と頼んで撮った
と聞いていますが、『吸血』の作りも、舞踏家の人(室伏鴻)に「その魅力を全開にして
くれ」みたいに作ったところを感じなくもない。ただ『恐怖奇形人間』は大分こちらの作
品と違いますから、あまりその印象で観ないでいただきたいと思いますが。
 『吸血』の場合は、先ほどのドイツ表現主義映画的に、わざとサイレントに近い形に
していたり、白黒というかほとんど色を絞ったみたいにしている場面、そういう部分は
スタティックな静かなところですけれども、室伏さんの登場あたりからは結構ニュアン
スが違ってきて、そちらはダイナミックといいますか、静と動の対比になっていたのも
魅力と思います。



吉本: どこまで言っていいのかな(笑)。映像を観ていただくと分かると思うんですが、
結構ノイジーっていうか、古い映画を意識した作品って、必ず今はエフェクトでスクラッ
チとか、「サイレント映画を観ていますよ」っていう感じに皆やるんですけど、そういうん
じゃなくて…。今の時代に、昔の映画を、そういうスクラッチとか無しで、映写機で観た
とき、あの当時の人たちが観ていたものよりかは劣化はしているんだけれども、フィル
ムの状態が今よりもっと質が悪くて、逆にそれで、ひとコマひとコマの映像とかが、絵
に近いような感じになっているんじゃないかなとか…そんなことを考えながら作ってい
ました。
 で、全編がそういうわけじゃなくて、今っぽくなるところも多少はあるんですが、なるた
け、今の商業映画とか普通の映画がやっているようなことはやらないように、避けて避
けてやるように意識したんです。それで色々誤解とかもあるんですけれども。スタイル
的にはそういったことを追求してやっているんです。

高原: 僕はウェブサイトで一言だけ「アートです」みたいなコメントをしていて、それが
どういう意味かは語っていない。どちらかというと映像とイメージで勝負していて、ストー
リーもあることはありますが、それ自体はそんなに主ではないように見える、という意
味で“アート”と言っています。その部分に、まあご注目いただきたい、というところです。

吉本: まったくそうですね。ストーリーはまあ、どうでもいいって言ったらアレですけ
ど(笑)単純。あんまり台詞とかも無い作品ですから、ストーリーはなるたけ単純にしな
いと、伝わらなくなっちゃうんじゃないかという意識があって。だから誰でも分かるような
話にしておいて、映像的にはアートというか、実験してみたいことを試みたという感じです。


永松: “吸血鬼”というと、ここにいらっしゃる皆さんはそれぞれ違ったイメージを抱か
れていると思うのですが、高原さんと吉本さんにとって「吸血鬼といえば」というイメージ
があれば…お二人の吸血鬼体験(笑)をお聞きしたいのですが。

吉本: 笑。昔ね、何だっけタイトル覚えてないんだけど、クリストファー・リーが出てた作
品で、外に出ると表はもう太陽が出てて、吸血鬼がどんどん白骨化していって死んでいく
のがあったんですよね。

高原: 最初の『吸血鬼ドラキュラ』でしょうか。ハマーの。

吉本: そうかも知れない。もうあまり覚えてないけど…それは印象的に残っていますね。
 『ノスフェラトゥ』で室伏さんをイメージしたんですけど、もう一つ、あれは吸血鬼だった
か覚えていないんですけど、トビー・フーパーの『死霊伝説』って映画があるんですよ。ス
ティーヴン・キング原作の。あれに、やっぱりこういう怪物が出てくるんですけど、どっち
かというとあっちのイメージのほうが強いんです。『ノスフェラトゥ』が下地にあるということ
含めて、『死霊伝説』に出てくるノスフェラトゥが僕はものすごく好きで。

高原: かなりアクティヴな吸血鬼ですね。

(会場笑)

吉本: そうですね。

高原: あの映画の原作は、『Salem's lot』、邦題が『呪われた町』でしたか、スティーヴ
ン・キングが正攻法的に吸血鬼を描いた傑作ですね。ストーリーが緻密に出来ていて、
その町で起こる不吉な出来事をひとつずつ追っていくうちにだんだん超自然的な魔物が
姿を見せてくる…というもの。そういうストーリーと別のところでいいのは、こちらは映像の
ほうの『死霊伝説』だったと思いますが、夜、窓の向こうから白い顔の気味の悪いものが
現れてくるシーンでした。
 吸血鬼というと、大体二通りくらいの要素がある。一つは異形の恐ろしいもの、化け物
ですね。もう一つは“選別”というニュアンス。つまり吸血鬼というのは、なってしまえばむ
しろ人間よりも優れた、選ばれた者というような意識によるストーリーがあります。『吸血』
の映画のストーリーにも、いくらかそういう部分がありますね。半村良という人の『石の血
脈』という小説は、その“選別”ということをたいへん意識した話です。吸血鬼というより吸
血病というべきですが、その伝染病にかかった患者は、それによって色々な時期を経て
最終的にはほとんど不死になれる、という種類の病気なんですね。それを上流階級にだけ、
感染させる、という厭な話なんですけど(笑)。
 それから逆に、吸血鬼が追われて可哀想、という話もありますね。最近、僕は観てない
ですけれど、たしか北欧の映画か何か(『Let The Right One In』)で女の子の吸血鬼が男
の子と一緒に生きようとするけれども難しい、みたいな話がありました。
 最初の頃の吸血鬼の話だと、恐ろしいし怖いし、みたいなものだったのが、だんだん
リリカルな作品もできてきましたね。『吸血』は、リリカルというのともちょっと違って、パン
クな感じもありますけれど。
 この映画を吸血鬼というテーマにしたのは、なぜなんですか。

吉本: もともとの企画は永松さんなんです。

永松: 私が『夜想』という雑誌を手伝っていたときに吸血鬼の特集がありまして、その
とき東さんなんかと一緒に掌小説、吸血鬼をテーマにした800字の短編小説の、公募の
イベントがあったんです。そこでは美術の部門や、受賞小説作品の朗読パフォーマンスも
ありました。この映画の一番初めは、私が吉本さんと話していて、吸血鬼の映像作品と
パフォーマンスが出来たら面白いなぁと思ったのがきっかけです。吉本さんの作品では、
劇団黒テントの舞台映像や、自主の短編映画も観たことがありました。その質感が…
抽象的で難しいと言われることが多い吉本さんですが(笑)わたしは結構好きで。
 結局パフォーマンスの計画は流れて、独自に吸血鬼映画の企画として動き出したの
ですが、私も映画作りはすべてが初めてで、かなり無謀というか無茶な…(笑)でもとて
も面白い現場になりました。

高原: 『夜想』とか『幻想文学』とか、その流れに少しずつ関係があったということですか。

永松: そうですね…ただ吉本さんは、先ほどおっしゃっていたように、外国に行っていら
したりして、いわゆる日本で、アングラや幻想が好きな人が読みそうな雑誌を読んでいた
りそういう場所に行っていたりした人ではないんだけれども、でも面白い感覚があって…。
私は、日本の文化的な既成のイメージが無い彼の感覚に興味を感じたんです。日本の
今の時代で表現していても、どこにもあてはまらないような感性が面白いなぁと思いました。

高原: アメリカに住んでおられたわけだから、映像的にもその土地のものを意識されて
いるかも知れませんが…。“アメリカン・ゴシック”と言われる映画の、昔のものは『死霊伝
説』みたいな作品なんだけど、最近になるとティム・バートンとかの、ディズニーランドを黒く
したようなものが増えました。吉本さんの場合はそういうものとは全然違っていて…どちら
かというとヨーロピアンですね。映像的に。



吉本: そうですね。単純に今回の企画はお金が無かったというのもありますけど(笑)アメ
リカのああいうのみたいになっちゃうと、商業映画のニオイみたいのが画面いっぱいに出て
るじゃないですか。だからそれをやってもしょうがないし、インディペンデントで何ができる
かな、というところの意義もありますよね。この作品を作るということには。
 アメリカンっぽいものはそんなに好きじゃない。音楽も僕はロックとか好きですけど、イギリ
スのロックのほうが好きですし(笑)。

高原: そういうこともあるんでしょう。
 映画の音響はどうなんでしょう。先ほどノイズっておっしゃっていたけど、その辺りは意識
されているの。

吉本: この作品は、音が無いところも結構多いんですけれども、音が無いというよりも、
「シューッ」とノイズというのか、機械がうなってる音のような、ああいうシーンとした音、無音
とはまた別の音が入っています。そういうのがだんだん大きくなっていったりとか。サイレント
映画って言いながらそういう音を使ってます。もちろん音がガンガン出てくるところもあります
けど。

高原: 確認すると、サイレント映画では実はない。サイレント映画…めいたもの、メタ・サイ
レント映画、っていうんですかね。そんな感じのもの。
 色彩についても、自分の記憶がいい加減なところがあるかも知れませんが、カラーにしてる
ところもありましたね。でも大半の印象はやっぱり白黒で…。赤い色を使ってるところの、その
使い方も、観ていくと面白いかと思います。

吉本: 本当を言うと、完全に白黒のシーンって実は無いんですよ。ほんのちょっとだけ色が
付いてたりとかするんです。よくコントラストの強い映像がありますが、彩度の調節で、色の
強みを抑えることによってだんだん白黒っぽくなっていくんですよね。その色の感じが僕は
好きで。それを使いながら、粗いけど透明感があるような色とか、そういう映像を作っていっ
たんですね。

高原: 今の技術なんだけれども、どうも懐かしい系の昔の写真のように見える技法が、今は
沢山ありますね。その一つかな。
 映画の中での赤い色は、先ほどの半村良の『石の血脈』もそうですが、そのもとになった
短編があって、『赤い酒場を訪れたまえ』っていうんです。ある変な病気にかかると、だんだん
光が嫌になって家に籠るんだけど、赤い色だけにはすごく反応する。その話の中の吸血鬼は、
赤い色だけが見えてあとは白黒の世界。それにも近いですね。


永松: それではトークの終りに、何か言い残したことがあれば、お願いします。

吉本: 本当はあんまり説明するのは良くないと思うんですけど(苦笑)。
 映画の最初に、詩みたいな文字が出てくるんですね。それは…この物語自体が、秘密
結社の計画で、日本に吸血鬼を殖やしていこうという計画で始まっているというバックグラ
ウンドがあるんですね。最初に出てくる文字は、フリーメイソンの“反省の部屋”というところ
で、壁に書いてある文字なんです。そのことは、全然説明していないんですけれども、そう
いう背景があるということを、考えなくてもいいけど、一応言っておこうかなと。その詩の意味が、
作品と上手く絡まったら…良いですね。

永松: 高原さん、吉本さん、今日は本当にどうもありがとうございました。

(拍手)